はじめに

テレビや舞台で活躍する若手歌舞伎俳優・尾上右近を見て、
「どうして歌舞伎の道を選んだのだろう?」
「生まれながらの名門なの?」
と疑問に思った方も多いのではないでしょうか。

結論から言うと、尾上右近が歌舞伎の世界に飛び込んだ理由は、名跡や家柄ではなく、舞台そのものへの強い執着と覚悟にありました。

この記事では、
・尾上右近の生い立ち
・歌舞伎とどのように向き合ってきたのか
・なぜあえて厳しい歌舞伎役者の道を選んだのか
を整理しながら、彼が歌舞伎に人生を賭けた理由をわかりやすく解説します。


歌舞伎名門の傍流に生まれた右近

尾上右近は1992年生まれ。
「尾上」という名跡から、名門の御曹司という印象を持たれがちですが、生まれながらにして歌舞伎宗家の後継者という立場ではありません。

父は清元節の名手として知られる清元栄寿太夫。
清元節は歌舞伎音楽を支える重要な存在ですが、立役として舞台の中心に立つ家系ではなく、語りの世界の人間です。

一方で、右近の祖母は尾上宗家の名優の娘です。この点はあまり強調されることがありませんが、右近の血の中には、確かに「尾上の舞台感覚」が流れているとも言えるでしょう。

ただしその血縁は、宗家の後継として守られる立場を意味するものではありませんでした。尾上宗家の一門ながら男系でなく女系の血筋であり、いわば傍系の立ち位置にあります。
むしろ、歌舞伎の本流を間近に知りながら、自分はそこに安住できないという現実を早くから突きつけられる環境だったと考えられます。

つまり尾上右近は、舞台には近いが御曹司として守られる立場ではないという、非常に厳しい位置からスタートしました。

この立場は、「守られない代わりに、実力で芸を切り開き評価されるしかない」という覚悟を早い段階から求められる環境でもありました。


子どもの頃から舞台に立ち続けた日々

尾上右近は、浄瑠璃・清元節宗家の家に生まれました。
歌舞伎に近い環境ではありましたが、歌舞伎役者になることが約束された立場ではありません。

右近が歌舞伎という芸能を強く意識するようになった原点は、幼少期の体験にあります。
3歳のころ、曾祖父・六代目尾上菊五郎の代表的な演目である『鏡獅子』に触れ、大きな衝撃を受けたと語っています。

日本映画界の巨匠・小津安二郎監督が撮影したドキュメンタリー映画『鏡獅子』(1936年)に映る曾祖父の舞台姿を見て、「この『鏡獅子』になるにはどうしたらいいのか」
と、幼心に強く心を動かされたのです。

この体験は、歌舞伎という世界が「家の延長」ではなく、自分自身が選び取る表現の場であるという意識を芽生えさせた出来事だったと言えるでしょう。


あえて厳しい「歌舞伎役者」の道を選んだ理由

歌舞伎役者の世界は、外から見えるほど華やかではありません。

・序列が厳しい
・名跡がなければ脇役からの出発
・努力がすぐ評価につながらない

それでも尾上右近は、自分の表現は歌舞伎でしか完成しないという覚悟を固め、この道を選びました。

父の清元節という道を継ぐ選択肢も、決して現実味のないものではありませんでした。
清元節は歌舞伎に不可欠な音楽であり、高度な技量と伝統を求められる世界です。
しかし清元節は、あくまで舞台を「支える側」の芸能です。舞台全体を動かす立場である一方、物語の中心に立ち、身体そのもので感情を表現する役割ではありません。
右近はそこに、どこか物足りなさを感じていた可能性があります。

舞台の中心に立ち、視線を一身に集め、自分の身体一つで空気を変える。その責任と緊張感こそが、彼が本当に求めていた表現だったのでしょう。

歌舞伎が持つ「型」という考え方も、右近の表現欲求と強く結びついていました。
型は自由を奪うものではなく、型があるからこそ感情が際立つ。長い歴史の中で磨かれてきた表現を身体に刻み込み、その上で自分自身の感情を乗せていく。
この構造に、俳優としての限界まで挑める可能性を見出していたと考えられます。


苦労の末に得た評価と現在の立ち位置

七代目尾上菊五郎のもとで修行を積み、右近は天才子役として注目を集めます。
しかし成長の過程では、変声期なども重なり、長く苦しんだ時期があったことを本人も率直に語っています。

この壁を乗り越えるために右近が選んだのが、年に一度の自主公演『研の會』でした。
演目の選定、配役、出演者への依頼、さらには演出や舞台構成まで、歌舞伎俳優自身が主体となって舞台をつくり上げる。

誰にも頼れず、誰のせいにもできない環境に自らを置くことで、右近は歌舞伎俳優としての経験値を一つひとつ積み上げていきました。

歌舞伎俳優としての大きな転機となったのは、2017年の「スーパー歌舞伎Ⅱ ワンピース」公演です。
主演の市川猿之助が負傷により降板した際、代役として主演ルフィを務めたのが右近でした。
25歳という若さで大役を引き受け、舞台を見事に務め上げたことで、右近の名は歌舞伎界の内外に広く知られるようになります。

右近はこの経験を振り返り、「ピンチのときに誰かに救ってもらうのではなく、自分が率先して引き受ける姿を先輩たちから学んできた」と語っています。

その後も舞台にとどまらず、映画『燃えよ剣』で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞、NHK大河ドラマ『青天を衝け』など映像作品にも出演。

歌舞伎俳優という枠を超えた表現の幅を広げながら、その根底には常に歌舞伎の舞台で培った責任感と覚悟が息づいています。


尾上右近が歌舞伎に飛び込んだ本当の理由

尾上右近が歌舞伎の世界に飛び込んだ理由は、家柄や名跡に恵まれていたからではありません。その背景にあったのは、舞台への強い執着心と覚悟でした。
だからこそ彼の舞台には、必死さや真剣さがにじみ出ます。

伝統芸能という厳しい世界に、自分の人生を投入する覚悟。
それこそが、尾上右近という役者の原点なのです。


まとめ

尾上右近が歌舞伎の世界に飛び込んだ理由は、生まれながらに約束された立場があったからではありません。

・歌舞伎名門の宗家の御曹司でなく傍流の立場
・主役が保証されない厳しい環境
・それでも舞台に立ち続けたいという強い意志

こうした条件の中で、彼はあえて歌舞伎役者という険しい道を選びました。

尾上右近の舞台が人の心を打つのは、その背景にある覚悟と積み重ねが、自然と表現ににじみ出ているからなのかもしれません。

今後、彼が歌舞伎界でどのような役割を担っていくのか。
男系の御曹司が軸になっている歌舞伎の世界で傍系ながら芸格の高い役者がどう活躍するのか。血筋と芸の関係がどうようになっていくのか。

その歩みを追い続けることで、現代の歌舞伎がどこへ向かうのかも見えてくるでしょう。