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司馬遼太郎の幕末作品は名作ぞろい!おすすめ三部作をご紹介

司馬遼太郎 幕末
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司馬遼太郎の作品には名作が多いのですが、中でも歴史の転換点である幕末作品にはおすすめの名作がそろっています。

幕末は現代と時代が近いこともあり、主人公の人物像や生き様も私たちに理解しやすく共感もしやすいと思います。

司馬遼太郎の作品は小説であり、学術書ではありません。

そのため作品の中に想像や虚構も多く含まれますが、返ってそのフィクションが人物像を鮮やかに浮かび上がらせ、読者を歴史の入り口へといざなってくれます。

今回は幕末作品のなかで、私がおすすめする3作品を三部作としてご紹介します。

幕末という時代を佐幕、倒幕、武装中立の3つの立ち位置から読み合わせると立体的な理解ができますし、何より激動の時代に生きた主人公の鮮やかな生き様にはやはり感動します。

それでは、私がおすすめする三部作を見ていきましょう。

司馬遼太郎の幕末作品

司馬遼太郎の幕末長編作品は次の表のとおりになります。

作品 主人公
竜馬がゆく 坂本龍馬
燃えよ剣 土方歳三
北斗の人 千葉周作
最後の将軍 徳川慶喜
河井継之助
世に棲む日日 吉田松陰、高杉晋作
花神 大村益次郎
胡蝶の夢 松本良順、司馬凌海

政治や戦争だけでなく医療や武道も描き、作品を読み合わせると主人公の人物像を通し沸騰する幕末期が生き生きと理解できます。

日本史の教科書ではわずかのページで整理される幕末期ですが、私は日本史の中でも転換点として重要度が非常に高いと考えます。

その幕末期を知るために司馬の作品はとても有効です。

もちろん、司馬の小説は歴史の事実をベースにして書かれているものの、学術書と異なり多くのフィクション(想像や虚構)を含みます。

作中の主人公の人物描写、発言、思考には司馬の想像から生み出された虚構も多く含まれ、小説のフィクションとなっています。

しかしながら、そのフィクションが返って主人公の本質を鮮やかに浮かび上がらせ、長く読み継がれる古典のような作品となっています。

 

司馬遼太郎のおすすめ三部作

幕末作品から私がおすすめする三部作を選びました。

佐幕か倒幕か沸騰する歴史の中で、立ち位置が異なる3つの作品を読み合わせると幕末の全体像や主人公の生き様が鮮やかに見えてきます。

私がおすすめする三部作は次の作品です。

  • (佐幕派)燃えよ剣
  • (倒幕派)世に棲む日日
  • (武装中立)峠

この三部作について、私の感想も交えながら作品の概要をご案内したいと思います。

 

「燃えよ剣」の概要

主人公は新選組副長・土方歳三、作者の司馬は土方歳三を「喧嘩師」と評します。

「バラガキ」(乱暴者)と呼ばれ喧嘩に明け暮れた武州多摩での青年時代から、京で新選組を組織し過激派志士を取り締まり「鬼の副長」と恐れられた新選組時代を経て、幕府瓦解後も戊辰戦争では各地で転戦を重ね、最後は蝦夷(北海道)に渡り函館で戦死します。

新選組時代は副長として、新選組を強固にするためなら暗殺も部下の処断も冷徹に行う策謀家の顔が強く、喧嘩師よりも前面に出ている印象があります。

ところが戊辰戦争以降は、自分が鍛えた新選組の戦力も大きく低下し最終的に近藤勇とも袂を分かちますが、組織がなくなった後は喧嘩師だけの本質が残り、その喧嘩師として本領が精彩を放ち始めます。

討幕派の優勢、佐幕派の退勢は明らかであり、敗戦と死を覚悟する状況であるのに土方の喧嘩師の精神は異様に高揚してゆきます。

度重なる転戦のなかでも、フランス軍事顧問が称賛した優れた指揮能力を発揮しますが、それは戦闘というより「喧嘩」であり、政治的な思想や主義を持たない喧嘩至上主義について司馬はこう語ります。

「芸術家が芸術そのものが目標であるように、歳三は喧嘩そのものが目標で喧嘩をしている」と。

土方歳三は、農民の出自であり江戸期の古典的な武士でもなく、近代的な軍人でもありません。

土方は、幕府に殉じる節義を貫いた喧嘩師であり、この作品ではその生き様が生き生きと活写されています。

 

「世に棲む日日」の概要

主人公は、幕末長州藩の思想家吉田松陰と倒幕の革命家高杉晋作、作品は前編の吉田松陰と後編の高杉晋作に分かれます。

吉田松陰は長州藩の倒幕思想に決定的な影響を与えた「尊皇攘夷」思想家であり、長州藩過激派志士の精神的な指導者でもあります。

松陰が開いた「松下村塾」は、門下生に高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋などを輩出し、長州藩に止まらず明治日本に活躍する有為な人材に大きな影響を与えました。

徳川家とは関ケ原の戦で敵方になりましたが、幕末の長州藩は江戸幕府の権威と秩序のもと太平の世を過ごす平凡な藩に過ぎませんでした。

それが松陰以降は、彼の門下生が過激な倒幕の志士となり、長州藩が思想的な狂気を帯びて狂ったように幕府に挑戦をし続けます。

松陰は29才で幕府に捕縛され刑死しますが、門下生である高杉晋作は亡き師松蔭の思想を基に尊王攘夷を現実的に実践し、幕府を倒幕へと追い込んでいきます。

高杉は奇兵隊を結成し、攘夷を行った下関戦争では惨敗したものの長州征伐では天才的な軍略で長州藩を勝利に導き、幕府の権威を大きく失墜させます。

高杉が純粋な思想家でなく現実主義の革命家であることを示すのは、アヘン戦争に苦しむ清の上海を直に見聞する機会を得た時の矛盾する思考です。

  • 彼は西洋列強に攘夷を敢行するのが不可能であることを理解しながらも、攘夷の狂気で大名を連合させ幕府を倒すしかないと革命を決意します。
  • その反面、西洋文明を目の当たりにし軍事と産業は速やかに西洋化すべきと判断しています。

攘夷のエネルギーで幕府を倒し新国家では速やかに西洋化する、明治の指針の原型がここから見て取れます。

高杉の死も松陰と同じく早く、第2次長州征伐で長州藩を勝利に導いた後まもなく28才の若さで没します。

有名な辞世の句もありますが、私は伊藤博文の撰文ほど高杉の人物と生涯を見事に表現したものはないと思います。

「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。衆目駭然、あえて正視するなし。これわが東行高杉君にあらずや」

松陰と高杉の師弟は人物のタイプも異なり、思想家と革命家という異なる類型ながら、二人で「壮大な虚構」である思想を現実世界で形にする革命に飛躍させました。

尊王攘夷から倒幕維新へ、鮮やかな飛躍を松陰と高杉の人間像をとおして描き出しています。

 

「峠」の概要

主人公は戊辰戦争時の越後長岡藩家老・河井継之助、近代的合理主義を持ちながらも武士的倫理に生きることを選び、新政府軍に徹底抗戦しました。

「峠」は司馬遼太郎の幕末作品の中でも独特なポジションの作品になっています。

その理由ですが、7万石の小藩ながら幕府と新政府のどちらでもない「武装中立」を掲げたのは越後長岡藩だけであり、幕末に独自の存在感を放ちます。

越後長岡藩は7万石の小藩ですが、当主の牧野家は古くは徳川家康から代々仕えた譜代大名です。

幕末時、長岡藩は小藩には不釣り合いなほどの洋式火力を整備し、藩の軍備をフランス軍をモデルにして重装備化しました。

越後(いまの新潟県)にあっても、会津藩に与せず新政府にも距離を置き武装中立策を取ります。

幕府側か新政府側か、時勢はどちらかしか許さない状況でしたが、河井継之助は「武装中立」を掲げ、どちらにも与しない中立の独立国という立場を守ろうとしました。

幕末の動乱期から戊辰戦争まで家老として実力で藩を率いた河井継之助は、近代的合理主義の持ち主であり、「武士の時代は終わる」と時代の先が見える先見性がありました。

しかしながら、河井継之助は合理的な近代人ではなく、前近代的な旧恩や忠義に生きる武士であり、最後には徳川恩顧の譜代大名の家臣として新政府軍に立ち向かい、徹底して抗戦します。

司馬はこう言います、「人はどう行動すれば美しいか、ということを考えるのが江戸の武士道倫理であろう。」

河井継之助が「美しく行動する武士道倫理」を選んだことは、結果として北越戦争で長岡の藩士や領民に多大な苦難と犠牲を強いることになり、「美しく生きるべきか、(合理的)打算で生きるべきか」深く考えさせる作品になっています。

 

まとめ

司馬遼太郎の幕末作品のおすすめ三部作をご紹介しました。

3つの作品はこれからも読み継がれる古典的な歴史小説になっていると思います。

簡単な概要ですが、作品の雰囲気は伝わったでしょうか?

3作品の概要を一覧にしてみます。

作品 立ち位置 主人公 人物の類型
燃えよ剣 佐幕派 土方歳三 喧嘩師
世に棲む日日 倒幕派 吉田松陰

高杉晋作

思想家

革命家

武装中立 河井継之助 倫理的武士

 

3つの作品を読み合わせると幕末の時勢の状況が立体的に見えてきます。

同じ事柄を見ても立ち位置に違いで見えるものや解釈が違ってきます。

佐幕派にとっての善や正義は、倒幕派にとっては悪であることが多く、立ち位置によって善悪が逆転します。

歴史は勝者が記述しますので勝者が正義になるのですが、私もこの三部作を読み合わせて、歴史はそのような単純な善悪で割り切れるものではなく、複合的に物事を見ることを自分で意識するようになりました。

司馬遼太郎の作品は難しく考えず、単純に楽しめる娯楽作品でもあります。

特に幕末のような激動の時代は強固な秩序がゆるみ、おもしろい人物が秩序を押しのけて飛び出してきます。

その登場人物の生き生きとした人物像は、読んでいるだけでも楽しいものです。

みなさんも、司馬遼太郎を案内人にして歴史を楽しんではいかがでしょうか?

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。